サンフアン州の砂漠に佇む異様な聖地
アルゼンチン西部に広がるサンフアン州の乾燥した砂漠地帯には、年間数十万人もの人々が訪れる特異な巡礼地が存在します。見渡す限りの荒野の中に突如として現れるその場所には、無数のペットボトルが山のように積まれ、異様な光景を作り出しています。
観光ガイドには絶対に載らない、住人だけが知るこの場所は「バジェシート」と呼ばれ、ある一人の女性を祀るための聖地となっています。一見するとただのゴミの山にも見える大量のペットボトルは、水に飢えて亡くなった彼女への供物であり、この地に根付く深く恐ろしい信仰の証なのです。
ディフンタ・コレアの伝説
この地に祀られているのは、「ディフンタ・コレア(亡きコレア)」と呼ばれる女性、本名をデオリンダ・コレアといいます。1840年代、アルゼンチンが内戦の混乱の最中にあった時代、彼女の夫は強制的に軍隊に徴用され、過酷な砂漠を越えて連行されてしまいました。
病に倒れた夫を追うため、デオリンダは生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱き、わずかな食料と水だけを持って果てしない砂漠へと足を踏み入れました。しかし、容赦なく照りつける太陽と乾燥した風は彼女の体力を奪い、やがて水も尽き果ててしまいます。彼女は砂漠の真ん中で力尽き、孤独な死を迎えました。
死後も乳を出し続けた母親
彼女の死から数日後、砂漠を通りかかったガウチョ(牧童)たちが、木陰で倒れている女性の遺体を発見しました。彼らが近づいて確認すると、デオリンダはすでに息絶え、その体は乾ききっていました。しかし、彼らは信じられない光景を目撃することになります。
なんと、彼女の胸に抱かれた赤ん坊は生きており、死んだ母親の乳房から母乳を飲み続けていたのです。極度の脱水状態で亡くなったはずの母親の体から、数日間にわたって乳が出続けていたという事実は、物理的な法則を無視した奇跡として語り継がれることになりました。
巡礼地の現在
この奇跡の噂は瞬く間にアルゼンチン全土に広まり、彼女が亡くなったとされる場所には小さな祠が建てられました。現在では、奇跡を求める人々が絶え間なく訪れる巨大な巡礼地へと変貌を遂げています。人々は彼女の渇きを癒すため、水を入れたペットボトルを持参し、山のように積み上げて祈りを捧げます。
日本語の情報はほぼ皆無ですが、現地のスペイン語フォーラムを読み解くと、彼女はカトリック教会の公認聖人ではないにもかかわらず、民間信仰の対象として絶大な影響力を持っていることがわかります。新車を買った報告から病気の平癒まで、あらゆる願いが彼女に託されているのです。
約束を破った者への報復
しかし、ディフンタ・コレアの信仰には、背筋が凍るような恐ろしい側面が存在します。彼女に願い事をして叶えられた場合、必ず約束した供物(水や模型など)を捧げに再び巡礼地を訪れなければなりません。もしこの約束を破れば、彼女からの容赦ない報復が待っていると信じられています。
現地のトラック運転手たちの間では、「約束を忘れた者の車は、砂漠の真ん中で原因不明の故障を起こす」「夜のハイウェイで、バックミラーに赤ん坊を抱いた女の姿が映る」といった怪談が絶えません。彼女の恩恵は絶対ですが、その代償もまた絶対なのです。奇跡の裏には、死してなお現世に執着する強い念が渦巻いているのかもしれません。
筆者考察
この伝承を調べていく中で、筆者が特にゾッとしたのは、彼女が「死してなお我が子を生かした」という美談が、いつの間にか「等価交換を強要する呪い」へと変質している点です。海外の文献を突き合わせると、初期の伝承には報復の要素は少なく、時代が下るにつれて人々の畏怖が彼女を恐ろしい存在へと仕立て上げていった過程が浮かび上がります。
極限状態での母の愛が引き起こした奇跡は、砂漠という過酷な自然環境と結びつくことで、人々の心に深く根を下ろしました。死者の執念が信仰という形をとって現代にまで生き続けていることこそが、このディフンタ・コレアの伝説が持つ真の恐ろしさだと言えるでしょう。