エチオピア心霊伝説:数万人が虐殺された「赤い恐怖」の怨念とアディスアベバの怪異

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エチオピア心霊伝説:数万人が虐殺された「赤い恐怖」の怨念とアディスアベバの怪異

1977-78年の大虐殺:エチオピアに刻まれた消えない傷跡

アフリカ大陸の東部に位置するエチオピア。独自の文化と長い歴史を持つこの国には、観光ガイドには絶対に載らない、住人だけが知る深い闇が存在します。それは、1970年代後半に吹き荒れた政治的弾圧による大虐殺の記憶です。

現在でも首都アディスアベバの一部地域では、当時の凄惨な事件にまつわる不気味な噂が絶えません。日本語の情報はほぼ皆無ですが、現地のフォーラムやアムハラ語の文献を読み解くと、単なる都市伝説では片付けられない生々しい怨念の存在が浮かび上がってきます。歴史の教科書には数行で記されるだけの出来事が、現地の人々の間では決して触れてはならないタブーとして、今も暗い影を落としているのです。

デルグ政権の「赤い恐怖」とは

1974年の革命によって帝政が打倒された後、エチオピアはメンギスツ・ハイレ・マリアム率いる軍事政権「デルグ」の支配下に入りました。彼らが反体制派を徹底的に弾圧するために展開したのが、1977年から1978年にかけて行われた「赤い恐怖(レッド・テラー)」と呼ばれる血の粛清です。

この期間中、数万人とも数十万人とも言われる人々が、裁判すら受けずに処刑されました。学生、知識人、そして少しでも政権に批判的だと見なされた一般市民が次々と連行され、二度と家族の元へ帰ることはありませんでした。密告が奨励され、隣人すら信じられない疑心暗鬼の社会。この異常な時代に流された大量の血と恐怖が、今もエチオピアの心霊現象の根源となっているのです。

路上に放置された遺体と見せしめの恐怖

「赤い恐怖」の時代、処刑された人々の遺体は家族に引き渡されることなく、見せしめとして路上に放置されることが日常茶飯事でした。血に染まった遺体には「反革命分子」と書かれたプラカードが掛けられ、市民は恐怖に震えながらその横を目を伏せて通り過ぎるしかありませんでした。

遺体を勝手に埋葬することは固く禁じられており、悲しみに暮れる家族でさえ、愛する者の亡骸に触れることすら許されませんでした。弔われることなく路上で朽ちていった無数の魂が、現在もその場所を彷徨い続けていると現地の古老たちは語ります。夜になると、かつて遺体が転がっていた路上から、すすり泣くような声が聞こえるという証言は枚挙にいとまがありません。

遺族に弾丸代を請求する狂気

この虐殺の歴史の中で、最も人々の心を凍らせるのが「弾丸代の請求」という狂気に満ちた制度です。デルグ政権は、処刑した人々の遺族に対し、処刑に使用した銃弾の代金を支払うよう要求しました。支払わなければ、残された家族の命すら危うい状況だったのです。

愛する家族を奪われた上に、その命を奪った道具の代金を支払わされるという究極の精神的拷問。この理不尽極まりない仕打ちによって、遺族たちの心には深い絶望と行き場のない怒りが刻み込まれました。この強烈な怨念が、数十年が経過した現在でも、当時の政府機関の跡地などで怪異として顕現していると言われています。

アディスアベバの特定地区で囁かれる怪異

首都アディスアベバには、かつて拷問施設や処刑場として使われていた建物がいくつか残されています。その周辺では、深夜になると誰もいないはずの路地から、悲痛な叫び声や銃声のような音が聞こえるという証言が後を絶ちません。ある特定の広場では、雨の降る夜にだけ、地面から赤黒い染みが浮かび上がるとも噂されています。

ある現地の若者がSNSに投稿した体験談によると、夜霧の立ち込める通りを歩いていた際、血まみれの衣服を着た青年の霊とすれ違ったといいます。その霊は虚ろな目で何かを訴えかけるように口を動かしていましたが、声は全く聞こえなかったそうです。このような目撃談は、かつて見せしめの遺体が放置されていた特定の交差点に集中しており、地元住民は夜間の通行を極力避けているといいます。

筆者考察:歴史の闇に沈んだ声なき声

このエチオピアの伝承を調べていく中で、筆者が特にゾッとしたのは、怪異の目撃談が単なる「幽霊話」ではなく、当時の歴史的状況と不気味なほど一致している点です。海外の文献や現地の証言を突き合わせると、霊たちが現れる場所は、まさに「赤い恐怖」の時代に最も多くの血が流された場所そのものでした。

理不尽に命を奪われ、まともな葬儀すら許されなかった人々の無念は、どれほどのものだったでしょうか。アディスアベバの夜闇に響く声なき声は、決して忘れてはならない悲劇の記憶を、今を生きる人々に突きつけているのかもしれません。政治的な狂気が生み出した怨念は、いまだにエチオピアの地に深く根を下ろしているのです。

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