イラク北部の山岳地帯に潜む迫害された民族
中東の歴史と宗教が複雑に絡み合うイラク。その北部に広がる険しい山岳地帯には、独自の信仰を守り続けるヤズィーディー教徒と呼ばれる人々が暮らしています。彼らの信仰は、イスラム教やキリスト教、ゾロアスター教などの要素が混ざり合った非常に特異なものであり、外部の人間にはその全貌がほとんど知られていません。
観光ガイドには絶対に載らない、住人だけが知る彼らの信仰の核心には、ある絶対的な存在がいます。しかし、その存在への信仰ゆえに、彼らは何世紀にもわたって周囲から「悪魔崇拝者」という恐ろしいレッテルを貼られ、幾度となく迫害の対象となってきました。日本語の情報はほぼ皆無ですが、現地の歴史や伝承を紐解くと、そこには血塗られた悲劇と深い禁忌が隠されているのです。
ヤズィーディーの孔雀天使「メレク・ターウース」とは
彼らの信仰の中心にいるのが、「メレク・ターウース」と呼ばれる孔雀天使です。ヤズィーディーの創世神話によれば、至高の神は世界を創造した後、七人の天使を生み出し、その長としてメレク・ターウースを任命しました。彼は神の意志を代行し、この世界を管理する絶対的な権限を与えられたとされています。
美しい孔雀の姿で描かれるこの天使は、信者たちにとって光と恵みの象徴です。彼らはメレク・ターウースに向かって祈りを捧げ、その加護を求めます。しかし、この美しくも強大な天使の存在こそが、イラクの禁忌とも言える恐ろしい誤解を生み出す原因となってしまったのです。
堕天使との類似と「悪魔崇拝」という誤解
なぜ彼らは悪魔崇拝者と呼ばれるようになったのでしょうか。その理由は、メレク・ターウースの神話が、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)における「堕天使」の物語と不気味なほど酷似しているからです。伝承によれば、神が最初の人間アダムを創った際、他の天使たちはアダムにひれ伏しましたが、メレク・ターウースだけは「私は神の光から創られた。泥から創られた人間にひれ伏すことはできない」と拒絶しました。
このエピソードは、イスラム教における悪魔(シャイターン)や、キリスト教のルシファーの反逆と全く同じ構図です。周囲の宗教から見れば、神に逆らった存在を崇拝しているとしか映りませんでした。ヤズィーディー教徒にとってメレク・ターウースの拒絶は「神への絶対的な忠誠」の証なのですが、外部の人間には理解されず、彼らは「悪魔を拝む異端者」として忌み嫌われるようになったのです。
決して口にしてはいけない「あの言葉」
この誤解から身を守るため、ヤズィーディーの社会には厳格なタブーが存在します。アラビア語のフォーラムや現地の文献を読み解くと、彼らの間では「悪魔」を意味する言葉(シャイターンなど)や、それに発音が似ている言葉を口にすることが固く禁じられていることがわかります。
もし誤ってその言葉を発してしまえば、それはメレク・ターウースへの冒涜とみなされるだけでなく、周囲の異教徒たちに「やはり彼らは悪魔と関わりがある」という口実を与えてしまうからです。言葉一つが命取りになるという極限の緊張感が、彼らの日常には常に付きまとっています。この見えない恐怖こそが、彼らの信仰をより閉鎖的で秘密めいたものにしていきました。
ISISによる虐殺と現代に続く悲劇
この「悪魔崇拝」というレッテルが引き起こした最悪の悲劇が、2014年に起きた過激派組織ISIS(イスラム国)によるヤズィーディー教徒への大虐殺です。ISISは彼らを「邪教徒」と断定し、村々を襲撃して数千人もの男性を殺害、女性や子供を奴隷として連れ去りました。
この凄惨な事件は世界中に衝撃を与えましたが、その根底には何百年も前から続く宗教的な偏見と誤解がありました。彼らが信じる孔雀天使は、決して邪悪な存在ではないにもかかわらず、その教義の特異性がゆえに、現代においても血の代償を払わされることになったのです。信仰を守ることが、そのまま死と隣り合わせの恐怖となる現実がそこにあります。
筆者考察:誤解が生み出す真の恐怖
この伝承と歴史を調べていく中で、筆者が特にゾッとしたのは、人間の思い込みが作り出す狂気です。ヤズィーディー教徒たちはただ自分たちの神聖な天使を信仰していただけなのに、外側からの勝手な解釈によって「悪魔」に仕立て上げられ、命まで奪われました。本当の恐怖は、超自然的な悪魔の存在ではなく、異なるものを理解しようとせず、一方的に「悪」と決めつけて排除しようとする人間の集団心理にあります。
海外の文献を突き合わせると、彼らの信仰がいかに平和的で自然を尊ぶものであるかが浮かび上がってきます。しかし、一度貼られた「悪魔崇拝」というレッテルは、どれほど血が流れても剥がれることはありません。イラクの荒涼とした大地に今も響く彼らの祈りは、私たちに「正義」という名の暴力の恐ろしさを静かに問いかけているように思えてなりません。
