枚方市樟葉の、明るい顔の裏
いまの樟葉は、京阪沿線の大きな町だ。駅前には高い建物が並び、買い物客の足が絶えない。樟葉モールの灯りは、夜でもまぶしい。だが、その名前を口にするとき、土地の奥に沈んだ古い湿り気まで消えるわけではない。川の町であり、渡しの町であり、争いの通り道でもあった。人が集まり、物が流れ、兵が抜ける。そういう場所には、きれいな顔の下に、別の顔が残る。
樟葉は、淀川の流れとともに生きてきた土地だ。川は恵みを運ぶ。だが、同時に水害も運ぶ。氾濫、土砂、ぬかるみ。舟でしか近づけない時代には、ここはただの通過点ではない。立ち止まる者の息づかいが、地面にしみる場所だった。のちに街が整っても、古い地名は消えない。残る。しぶとく、静かに。
「屎褌」の影を引く名
樟葉の由来として、民間伝承のひとつに「屎褌(くそばかま)」がある。崇神天皇の時代、戦のさなかに敵兵が恐怖で失禁し、その汚れた褌を捨てた場所が「屎褌」と呼ばれ、やがて訛って樟葉になった、という話だ。荒々しい。露骨だ。きれいな地名の下に、そんな生々しい語が潜むというのが、まず冷える。
もちろん、この話は書物の中で一つの伝承として語られてきたものだ。古い地名は、音が移り、字が変わり、意味がぼやける。その隙間に、土地の人々は忘れたくない景色を差し込む。血の匂い。戦の恐れ。逃げる足。落ちた布。そうした記憶が、地名の底に沈む。
樟葉という字面だけを見れば、楠の葉のように柔らかい。だが、伝承の芯はやわではない。屎褌。人の恥と恐怖がそのまま地名になる。美しい字へと整えられる前、そこにはもっとむき出しの呼び名があった、そういう怖さが、この話にはある。
その地で語り継がれる、古い戦の気配
崇神天皇の名は、記紀の中で大きい。国をまとめる前の、まだ荒い時代。疫病や争いが語られ、神威と軍事が近くにある。樟葉の伝承は、その時代の空気を借りている。敵を怖がらせ、褌を汚させたという筋立ては、戦の惨さをひとことで刺し込む。兵の誇りなど、川風ひとつで崩れる。そんな感触だけが残る。
この土地は、ただの伝説の舞台ではない。淀川沿いの要衝として、古くから人の往来が絶えなかった。舟運の要、街道の結節点、境目の土地。境目には、しばしば不穏な話が集まる。戦の退路。死者の通り道。急な水で流される家。残された土。そうしたものが、地名に影を落とす。
- 川が近い土地は、流通の場であると同時に、逃走と追撃の場にもなる
- 水害は境界を壊し、記憶の断片を地表へ押し上げる
- 古い伝承は、そうした土地の荒さを、ひとつの話へまとめて残す
樟葉の「屎褌」伝承は、単なる奇談ではない。土地の荒い履歴を、いちばん生々しい言葉で包んだものだ。戦の恐怖。身体の制御を失う屈辱。敗走の匂い。そういうものが、地名の奥からじっとこちらを見ている。
地名の下に沈むもの
今の樟葉を歩けば、そんな影は見えない。整えられた街路、明るい店、広い道路。だが、地名は景色だけでできてはいない。人がここで何を恐れ、何を捨て、何を語り継いだか。その積み重ねが、短い音の中に閉じ込められる。
樟葉という名に、屎褌の伝承が貼りつくとき、そこには奇妙な静けさがある。笑い話の形をしていながら、芯は湿っている。川のほとりで、誰かが恐怖に負けた。誰かが逃げた。誰かがそれを見た。そうして残った言葉が、やがて土地の名になった。
…お気づきだろうか。わたしたちが何気なく呼んでいる地名のなかには、祝福より先に、恥と死と逃走の記憶が埋まっていることがある。樟葉は、そのひとつだ。明るい街の足元で、古い川風がまだ冷たい。名は残る。由来も、伝承も、そして闇も。静かに、いつまでも。